自己紹介

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赤と黒 RCトゥーロンのクラブカラーがどう決まったのかは定かではありませんが、最も考えられる可能性としては、スタッド・トゥールーザンのそれを借用したという説があります。 地中海沿岸にラグビーが普及するようになると、幾つものクラブが生まれました。トゥーロン市では、トゥールーズ市を含むフランス全土から集った兵士によってチームが結成されました。1908年、スタッド・トゥールーザンの援助により、真のトゥーロン市のクラブが誕生したと言ってよいでしょう。両者の密接な関係はRCトゥーロンのユニフォームの色にも表れておりますが、他にも様々な説があります。ある者はそこにユニフォーム一式を提供してくれたトゥールーズの寛大さを見てとり、また他の者はそこに支援に対するトゥーロンの感謝の念を見出しています。 これまで常に、そしてこれからも、赤と黒を纏ってプレーするこの2つの偉大なチームは良きライバル同士であり、互いの対戦は毎シーズン欠くべからざる瞬間を彩っているのです。

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スズランの花 クラブの紋章であるスズランの花の方に関しましては、はっきりとした由来があります。クラブ発足当初からの後援者、フェリックス・マイヨールを記念したものです。この名高い歌手は、いつもこの花を一輪ジャケットの襟に挿していました。パリでの初公演が成功を収めた夜、パリ出身の恋人からスズランの花束を贈られて以来、彼はこの花を幸運のお守りと見做していたのです。 以上を受けて1921年に、クラブの父親的存在フェリックスのスズランはRCトゥーロンの象徴となりました。

ピルピル(雄叫び) RCトゥーロンの試合の前には、戦場の雄叫びをマイヨールの巣窟(※競技場のこと)に轟かせ、サポーターの方達全員が後に続いて繰り返します。これは今や「ピルピル」として知られています。 1940年代にマルセル・ボドレド(選手)が始めたとされ、トゥーロン市の若者たちのあまたのチームに引き継がれて行きました。2000年夏の2部リーグ降格を契機として、サポーターの一団「レ・ファダ(※南仏方言で「おバカ連中」といった意味)」がその300名のメンバーの力でピルピルを用いるようになり、毎回スタッド・マイヨールが一丸となって合唱することに貢献しています。 ピルピルはクラブの歌となり、2005年には試合の正式な一部と認められました。毎回、試合の始まりには、市井の刺青師セドリック・アベロンの掛け声によって、サイドラインからRCトゥーロンを勇気づけるのです。

Mayol_Felix

フェリックス・マイヨール 1872年に生まれたフェリックス・マイヨールは生粋のトゥーロン人です。パリで一旗揚げた彼は、瞬く間に名の知られた流行歌手となり、「パンポルの町の娘」「乙女の手」や「竹小屋へ」といった歌を世に送り出しました。 1909年に特徴のある前髪でも知られた彼は、「パリジャンのコンセール(コンサート)」という演劇場を買い取り、「マイヨール・コンセール」と改名します。そこでは、リュシエンヌ・ボワイエ、フェルナンデルやさらにはティノ・ロッシといったミュージックホールの大物スター達が歌うようになりました。 伝えられるところによると、とあるグラウンドを通りかかった際に卵型をしたボール(※ラグビー・ボールのこと)によって被っていた帽子を落とされて以来、フェリックス・マイヨールはラグビーという競技に興味を持つようになったそうです。この出来事をきっかけとして、彼はRCトゥーロンの偉大な恩人となりました。(競技用の)土地買収のために莫大な寄付を提供し、さらには、スポーツ施設建設のため、自身の歌の権利をクラブに譲渡しています。   この様にして、1920年5月28日にスタッド・マイヨール(球技場)は落成したのです。 1929年に出版された回顧録で、名付け親フェリックス(※マイヨールのこと)は自身が後ろ盾となったRCトゥーロンについてこう述べています: 「トゥーロンの町の若者はとりわけ活動的で壮健であったのに、(ラグビーのために)使えるグランドが少しも無かったのだ。…唯一残っていたのは廃棄された競輪場のみで、それは誰も寄りつくことなく、誰の役に立つこともなく、我々の志高き選手たち同様に放置されているかのごとく、私の目に映ったのだった。…そこでだ、まったくもって単純なことである。私は、この古い競輪場を買い取ることにしたのだった!1920年7月26日には、この自らの手で起工式の鍬入れをした。… 彼ら(選手たち)は、ボレアニ主将の声を通して約束してくれた。勝利を収め、自分たちの感謝の意を私に表明してみせると。」