クラブ史

19081948年:戦いの始まり

ラグビークラブ・トゥーロネ(以下、「RCトゥーロン」と記す)は1908年に誕生しました。最初に加入した選手達はヴァロア・スタジアム、セレクシオン・マリティムおよびスポーティング・クラブ・テレグラフィックというクラブの出身でした。最初の会長はルイ・ゴーリエが務め、最初の事務局長はマリウス・レイモンでした。1920年にはフェリックス・マイヨールの寛大な寄付により、RCトゥーロンも自身のスタジアムを有するようになりました。

1928‐1929年のシーズンでは勝利を重ね、フランス選手権で決勝戦にてキーヤンと対峙するまでに成長します。

1931年にはRCトゥーロンはリヨン・オランピック・ユニヴェルシテールを破り、ブレニュスの盾(優勝トロフィー)を初めて手にするという歴史的快挙を成し遂げました。

数年後には、シャランジュ・イヴ=ドゥ=マノワール杯に招待され、トゥールーズと同点で優勝を分け合うことになり、これが以後続く両チームのライバル関係の始まりとなりました。

毎年RCトゥーロンは上位を維持するものの、なかなか1位になることは叶いませんでした。1934年にはアヴィロン・バイヨネ、1939年にはビアリッツ、1946年にはルードに準決勝で敗れてしまいます。1948年に再びフランス選手権の決勝へと駒を進めますが、またルードに敗れてしまいました。

 

19491985年:山あり谷ありの成果

1967年に8度目の決勝戦へ勝ち進むようになるまで、RCトゥーロンの戦いは数年間の停滞期を迎えます。

1967‐1968年のシーズン中、RCトゥーロンは力を取り戻し決勝戦に進みますが、残念なことにルードに敗北を喫してしまいます。1971年にはA.S.ベジエと決勝で対峙し、1972年でも準決勝で戦っています。しかしながら、それ以後のシーズンではあまり活躍することはありませんでした。

 

19851995年:再び王者に

シーズンオフ中にコーチの役目をダニエル・エレロがアンドレ・エレロから引き継ぐことになり、RCトゥーロンは素晴らしい成績を収め、1985‐1986年にはフランス選手権の決勝戦へと再び進出するまでになりました。

1987年の5月2日、ブレニュスの盾を初めて手にしてから56年の歳月の後、RCトゥーロンはラシン・クラブ・ド・フランスを破って再度の優勝を飾りました。

大方の予想に反し、“ひよっこ”と揶揄されたチームで1992年シーズンの終わりまでブレニュスの盾を再び手にすることはなかったのものの、輝かしい軌跡の中、RCトゥーロンは優勝争いに欠かせない存在となったのです。ただし、続く1993年と1995年のシーズンでは、カストル・オランピックに決勝戦で負けてしまいました。

2部リーグへの後退

RCトゥーロンの歩みは、1千万フラン近くもの赤字が明らかになると共に挫かれてしまいます。これを受けて2000年、フランス・ラグビー・リーグはRCトゥーランにプロD2への降格処分を言い渡しました。翌シーズン中、軍港の戦士たち(※RCトゥーロンの選手たちのこと)はトップ14への即座の返り咲きを果たすかと思われたのですが、モントーバンとの決勝戦で阻まれてしまいます。以降、2004‐2005年のシーズンまでは落胆させられる結果が続きました。当期シーズンの決勝でRCトゥーロンはタルブを破って優勝することで甦り、エリート(※トップ14のこと)の仲間入りをしました。それでもやはり、トゥーロンの勇敢さは十分ではなかったのです。チームはレベルを維持すること叶わず、あっという間に2部リーグへと再び落ちてしまいました。

栄光の日々

2006‐2007年シーズンになると、ムラド・ブジェラルとステファン・ルリエーヴルというトゥーロン出身の2人の実業家が、トップ14への速やかな返り咲きを目標としてクラブに投資するようになりました。野心的な選手獲得に乗り出し、プロD2のクラブでは未だかつて見られなかった顔ぶれが揃えられたのです。ゴンサロ・ケサダ、ロブ・ヘンダーソン、ジャン=ジャック・クランカ、そしてラグビー界の正真正銘のスターであるタナ・ウマガ、ジョージ・グレーガン、アンドリュー・マーティンズ、ヴィクター・マットフィールド等々をはじめとする国際的な選手が続々とチームに合流しました。

スター選手揃いの軍団は2007年度のトップ14入りこそ逃したものの、翌年にはプロD2にて二度目の優勝を飾ります。

エリート(※トップ14のこと)の仲間入りを再び果たしたRCトゥーロンとその会長は、フランスのラグビー界に確固たる地位を確保し続け、フランス選手権トップ14に足跡を残すという野心を抱きます。

RCトゥーロンは豪華な選手獲得を一段と推し進め、世界的なドリーム・チームの様相を呈するようになって来ました。2008年にはソニー・ビル・ウィリアムズとジェリー・コリンズ、2009年にはフィリップ・サンタンドレ、ピエール・ミニョーニ、ローラン・エマニュエリ、イギリス・ラグビー界のスターであるジョニー・ウィルキンソン、そしてアルゼンチンのフアン・マルティン・フェルナンデス・ロッベとフェリペ・コンテポーミを獲得しています。

傑出した2009‐2010年シーズンの立役者となったRCトゥーロンですが、トップ14の準決勝にてその年の勝者ASMクレルモン・オーヴェルニュに屈してしまいます。翌年のシーズンにはジョージ・スミス、ポール・サッキーやカール・ハイマンも合流し、ハイネケンカップの準々決勝にまで昇りつめますが、トップ14のシーズン自体はさほど振るわない成績となりました。

2011‐2012年シーズン途中で、ラグビーフランス代表の監督に就任するためフィリップ・サンタンドレが抜けることが発表され、ベルナール・ラポルトがRCトゥーロンの指揮を執ることになります。その年、RCトゥーロンは欧州チャレンジカップとトップ14の両方で優勝に王手をかけるものの、タイトルをことごとく逃してしまいました。

2013年には、フレデリック・ミシャラクやクリス・マソエといった世界的クラスの選手を補強することにより、クラブ史上初となるハイネケンカップ優勝をもたらしました。ですが、フランス選手権では驚異的なカストルの前に敗北を喫してしまいました。

2013年の夏にはスター級の補強がなされました。ブライアン・ハバナ、アリ・ウィリアムズ、マルティン・カストロジョヴァンニ、さらにドリュー・ミッチェルを迎え、悲願のブレニュスの盾獲得へと動き出します。プレヤデス星団のごときRCトゥーロンはハイネケンカップとトップ14の歴史的なダブル優勝を果たすことで伝説となったのです。

イギリスの生んだ天才ジョニー・ウィルキンソンの引退後も、RCトゥーロンはヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップの3年連続王者となり、世界のラグビーの頂点へと歩み続けています。ラグビー史上、前人未到の領域を目指して…。